剣岳 ’80(30才の山登り)

吉永 耕一  





今年の夏は近くの山々で、沢歩きを堪能しようと考えていた。昨年の9月山岳部OBの 上出、大村、小谷三君と京都裏比良の緑深い明王谷を溯行し、さわやかな数日を過ごした 。うだる夏はこれに限る、真夏の北アルプスの喧噪の中を登るなんてまっぴらだし金もか かると、手前勝手に納得していたからだ。

処がどうだ、7月も半ばを過ぎ、遅かった梅雨明けも間近となると心なしかそわそわし てくる。山の道具屋を覗き、そこに居合わす人々のあふれんばかりの熱気を感じるともう いけない。『今年は残念ながら山岳部の現役・新人と会う機会がなかった。OBとして皆 がどんな様子かみてくるよ』などと大層な名目をつけて家内に小遣いを所望する。仕事の 合間を見つけて山岳部現役の頃、よくかよった剣岳へ向かうことにする。文句ひとつ言わ ずに旅費を手渡す彼女曰く『そのお腹で、剣へ登れるかどうか試しておいで』

7月19日(土)

学生時代や勤め人になってすぐの頃は、大阪を夜中に発って、夜行疲れの眠たい目で入 山第1日目を迎えていた。最近はなるだけ早朝に家を出て、その日のうちに入山してしま う。朝6時半、新大阪駅から新潟行の特急雷鳥に乗車。途中敦賀までは海水浴客で満員、 ここから座って11時前富山着。駅前でヘッドランプの電池を買ったりして、正午過ぎに 富山地鉄に乗り込み、懐かしの立山へ 向かう。

うまく長い休みを作れなかった私は、例によって文明の利器、電車、ケーブル、バスと 乗り継ぎ、美女平より全線開通となったハイウェイにのって、ダケカンバの森やニッコウ キスゲの美しさを愉しみながら、あっという間に14時30分室堂到着。室堂は既に標高 約2500メートルの地点。富山から2500円の旅。空は曇天、ただし大日三山もよく 見え展望はきく。今年は緑に混じる雪の白色が殊の外少なく思える。気温は12.3度で やはり涼しい。登る時間が遅いため登山客は少ないが、黒部立山アルペン・ルートの観光 客で相も変わらずごったかえしている。

天気が悪ければ入山1日目はこの室堂で温泉にでもと軟弱な予定にしていたが、今日は 暑い日射はないし、いい登山日和りなので、剣沢まではいることにする。雷鳥沢のつづら 折れの登山道を下から見上げると、いつもながら『しんどいやろな』という気がおこる。 『まあ、二本だからなんとかなるやろ』と山登りの奥義にのっとって順に足を前に出す。

雷鳥沢の登りにかかって半時間もたった頃、小雨がパラつきだす。ガスが出てきて視界 は閉ざされる。大の苦手の雷の気配はしないので、一歩一歩前へくりだす。

雨と汗とで濡れ鼠となって16時30分、御前小屋前を通り過ぎる。剣は見えず。後は 腹が減って惰性で剣沢までふらふら降りていく。

室堂を出て2時間25分で剣沢へ到着。野営場はガスの切れ間に色とりどりのテントの 花が咲いている。見渡した限りの一帯は家型のテントは数少なく、ドーム型のテントが多 い。芸工大のテントはどこだろうかと見回しながら野営場をつっきって佐伯文蔵さんの剣 沢小屋へと駆け込む。

本日よりこの小屋に3泊お世話になることにする。今日が土曜の夜だから剣登山の基 地、剣沢小屋は大入り満員のにぎわい。一番奥の3人部屋で相部屋となる。同室は長野の 会社員2人連れ、今日は立山三山を廻ってきたとのこと。明日はどうしても剣へ登ると張 り切っている。小屋の食事は思いの外豪勢、野菜の天ぷらもでてくる。相部屋の2人とビ ールで乾杯し山談義にうつつをぬかす。夜の7時には布団に入るが、入山初日で速い鼓動 と熱い体になかなか寝つかれず、悶々とした夜を送る。

7月20日(日)

山小屋の朝は早い。相部屋の2人は4時半に剣へ登ると出かけて行った。夜明け前の暗 い空はどうやらガスっている。時折雨もパラつく。そんな天気におかまいなく、小屋の大 半の客は出かけていくようだ。こちらは遅おきをきめこむ。いわゆるチンだ。それでも7 時頃には起きて朝食をとる。客はほとんどいない。静かなもんだ。

食事の後、『サテと、山岳部現役のテントを捜しておこうか』と剣沢を散歩することに した。小屋の前でさっそく現役3年の野中君とお客さんの行時さんに出会う。今日が行時 さんの下山日で、野中君が室堂まで見送るそうだ。聞けば他の部員も本日はチンでテント にいるとのこと。

芸工大山岳部合宿ベースキャンプは例年通り、剣沢野営場再下段、文登研夏山基地の下 にあった。今年は我々が使っていた6人用家型テントはない。新しいドーム型テントだ。 あの家型テントは購入して既に10年を越しているし、ちょうど交代の時期になったのか と思う。招き入れられた青いドーム型テントは新しく、居住性もよさそうだったが、各自 の個装が雑然として、あんがい手狭に感じられる。やはり新人、2年が多く上級生が少な い時の合宿は大変だなと思った。

皆陽に焼け、目玉だけグリグリと輝かせてたくましく汚れた顔つきをしている。お茶を いただきながら、一人一人紹介してもらう。三年生のリーダー松藤君、青家君は既に面識 がある。二年生の塚原、脇屋、古賀、北島君、松尾さんもあったことがあるはずだ。新人 の城、稲田、白木君は初対面だった。

今年の剣の岩や雪の状況、山岳部のこと、芸工大のことを聞き、『あの先生まだ芸工大 におるとね』と久しぶりの博多弁で話ははずむ。こちらは昔のOBの山行や大学の想い出 、OBの現況を伝える。

トランプに終日興じて、夕方にはスパゲティ・ミートソースをごちそうにまでなってし まった。ちゃんとした肉もはいっており、スパゲティのゆで加減も程よく、山で食べたな かで最上級の料理であった。

夜小屋に帰ると、小屋の人が、今日は中年のご婦人連3人と相部屋になったという。東 京の山好きの仲間らしく、今日の荒天をついて剣の本峰に登ってきたとのことで感心する 。大変だったらしく、梅酒をあおりながら一日の苦労話をしていた。私はおとなしく小さ くなって部屋の片隅にて寝入る。

7月21日(月)

昨夜熟睡できたせいで、自然と4時半に目が覚める。相部屋の方々は、今日は二俣から 仙人へ出るということで、既に出発の準備が整っている。二重窓を開けると、冷たい外気 とともに前剣のあたりで揺れ動く登山者のヘッドライトの光りが飛び込んでくる。どうや ら今日は真夏の晴天になりそうだ。

得意の早めし、早キジを済ませて5時半に小屋を出る。もうすっかり明るい。小屋前で イチニィ、イチニィと掛け声を出しながら準備体操をする。現役の皆に挨拶をして剣にむ かう。彼らの予定は前剣Aルンゼ、Cルンゼ登行だ。私は長次郎の雪渓をつめて、八峰上 部か長次郎の頭を見ながらぶらぶら、のんびりと本峰に行く旨伝えて別れる。

長い剣沢の雪渓を下る。前剣A、Cルンゼ取りつきの武蔵谷は、雪が切れ、出合いから 既にルンゼ状になっている。これからここを登る現役の皆は大変だと思いながら下る。

平蔵谷の出合いを過ぎ、きっかり6時に長次郎谷出合いに着き小休止。谷の入り口から 見上げる長次郎谷も全くもって雪が少ない。八峰やチンネへむかうクライマーのパーティ と一緒に長次郎谷を登りはじめる。ハァハァ息をつきながら雪渓をつめる。大学山岳部の 若人がどんどん追い越していく。『元気がいいなぁ』と各パーティを見上げながらため息 をもらす。

大きな長次郎谷の両側、左の源次郎尾根、右側八峰の岩の形とハイ松の緑が美しい。谷 のひんやりとした空気がなつかしい。

出合いから一本、熊の岩の巨大な露岩の下300メートルぐらいで、既に雪渓が切れ、 沢となって冷たい融水が流れ落ちている。7月末でここらの雪渓がきれるとは! 小屋の 人の話では、冬から春にかけて相当な積雪があったのだが、5月以降の長雨でかなり溶け たそうだ。

左手、源次郎尾根側の傾斜のゆるいスラブを危なっかしい格好で乗り越え、上の雪渓へ 移る。熊の岩の横、谷が両側の岩で急に狭まっているあたりも雪渓が切れ沢だ。恐いもの 見たさで沢へと降りる。上の雪渓が落ちてこないかと心配しながら約30メートルの沢を 右岸づたいに登る。雪渓の冷たい水で下半身はずぶ濡れとなる。

熊の岩上部の雪渓にたどりついて休む。仰げば真夏の空は紺碧で、雪渓の白がまぶしい 。ここからは八峰の岸壁や源次郎二峰が手にとるように見える。

さて出発しようと腰をあげたと同時に、コキーンという金属的な音がして、しばらくし てパートナーを気づかうクライマーのコールがこだました。大事にいたらないようにと思 いながら長次郎の窓をめざした。(小屋に帰って、鹿児島大学山岳部メンバーが、六峰B フェースにて落ち、一人死亡、重傷一名を出したと知った。ご冥福を祈る)

谷の中腹を過ぎると、長次郎谷は左右が開け、広大な空間を創りだしている。しばらく はこの傾斜の緩い雪渓を登る。汗をかきかき一定のペースで長次郎の窓へとすすむ。

長次郎の窓直下斜度がきつくなるあたりで雪渓が傾斜線に直交してづたづたに切断され ている。大げさにいえば一種のクレバス帯だ。これには相当にてこずった。雪渓が段状に 幾段にも切れ落ち、2〜3メートルの段差をピッケルだけで中央突破していくのは無理だ 。切れた部分を右往左往する。シュルンドに降り、岩と雪をの隙間をよじ登ったり、ビッ ケルで足場を切って雪壁をずり上がったりしてなんとか窓まで出た。

クレバス帯に入ってからは、ザイルもなく途中から下に降りることもできず、しょうも なしに上まできたというのが実感だ。久しぶりで緊張した登行を体験でき充実感があった 。

長次郎の窓から剣本峰までは指呼の間。今まで一人で静かな山登りを愉しんできたのに 、山頂はまた雑踏の中。頂上の祠にまた登頂できたことを感謝する。ゆっくりと廻りの景 色を愉しんで、又ここに立つ日のを想う。

下山は雪の状態がおもわしくないので、一般路をくだる。頂上間近のカニのタテバイ で渋滞、待つこと一時間。夏山でも一番登山者の多いこの時期だけに、どうしようもない と岩に腰掛け、諦め顔で待つ。休み過ぎて体がだらけてしまった。

登りの元気もうせてトボトボくだる。前剣でガスが出できた。一服剣で小雨となる。1 5時ごろ小屋に到着。午前中快晴だったのに午後は雨。ともかく剣へ登る間は晴れていた ので有難く思う。

今日の相部屋は年配の紳士2人。お一方は馬場島を発ち、伝蔵小屋に2泊して早月尾根 から剣本峰へ登ってきたとのことだ。最終目的地は槍と聞いて、驚くやら感心するやらひ としきり。私も自分なりの山登りが生涯できるようにならなければと考える。

夕食後、心地好い疲労感の中で、発刺とした今日の山行を思い返していると、現役の古 賀君が訪ねてきた。皆のベース・キャンプへ招待を受ける。所とせましと全員集まったテ ントの中では、お互いの今日の山行、鹿大生の事故のことなど話はつきない。しかしなが ら、山の朝は早い、又の再会を約して小屋に帰る。

久しぶりで体を思いきり動かしたためか、熱く火照って寝つけなかった。

7月22日(火)

瞬く間に休暇は過ぎ、本日は下山。明日からの仕事を思うと、急がねばという気になっ てしまう。全くせこせことしてしょうがないと思うが、親子4人の勤め人では致し方なし 。来年はもっとうまく計画しよう。6時半に小屋を出て、現役諸君に別れを告げ、下山に かかる。御前小屋では悪天のため、今日も剣は見えず。何かの一つ覚えのごとく、入山と 同じ道をくだって室堂へ。バス、ケーブル、地鉄と乗り継ぎ、11時には熱い富山の町へ 。12時半の特急雷鳥で帰阪。夕方5時にはもう自宅へ着く。

無事着いて家内に云ったひと言『だいぶ腹へっこんだろう』(1980年7月記)


Last modified 06/25/98

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