鳳凰三山’93

吉永 耕一 + 厚子 + 俊介 + 実香 


俊介が小学5年の夏(1990年8月)富士に登って以来、何回となく南アルプスの盟主北岳へ登ろうというプランを立てたが、それが実現できないままに俊介は中学2年生になった。今年の夏こそはやるぞと、俊介、実香を連れ立って、5月の末、会社の丹沢集中登山に参加し、表尾根の縦走、山小屋での一泊を体験した。丹沢に魅せられたのか6月にはいって、俊介と大倉尾根から塔ヶ岳、鍋割山、雨山峠、寄(やどりき)へ歩いた。また、厚子、俊介、実香と4人で昼の2時過ぎに二俣をたって鍋割山に登った日もあった。7月終わりの蒸し暑い一日、厚子、俊介とともに、大倉尾根、塔ヶ岳、烏尾山を『ふうふう』とあえぎながら歩き、南アルプスの山旅に備えた。

今回の計画では、南アルプスの縦走入門コースといわれている鳳凰三山と、それに続いて北岳に登る欲張りな山旅である。念願のアメリカ旅行で参加できない真以をのぞいて家族4人の登山だ。夜叉神峠より鳳凰三山、高嶺の稜線を通し、白鳳峠を下って広河原に至る前半と、広河原から北岳を往復する後半からなる。小学校4年の実香には、少しハードな縦走になるかもしれない。山小屋に4泊、予備日を1日とした。当初の計画では8月8日(日)から12日(木)までの日程であったが、8月初めからの前線の停滞、台風7号の接近と思いがけない天候不順にやきもきし、一日遅れの出発となった。

●8月9日(月)

車を駐めた夜叉神峠登山口(1380m)を昼過ぎに歩きはじめる。丹沢とは違った南アルプスらしさを感じさせる、雨にしっとりと濡れたカラマツ林の中をゆっくりと一歩一歩登っていく。歩きはじめて間もなく、実香が肩の痛みを訴える。ワンデイ・バックにぎゅうぎゅうに荷物を詰め込んでいるからだろう。新調の真っ赤な1リッターの水筒を代わりに持つ。根元から幹が別れた5本松を過ぎ緩い登山道をつめていくと、サルオガセの衣をまとったカラマツが目にとまる。南アルプスの雨量の多さが伝わってくる。

夜叉神峠からの景色は残念ながら雲に隠れてなにも見えない。遠くは見えなくとも足下に広がるお花畑がうれしい。濃いピンク色のヤナギランが花の盛りだ。夜叉神峠小屋は、峠を少し北に登ったところにある。4人素泊りで宿泊をお願いする。夜叉神峠登山口から広河原間のアカヌケ沢を渡る橋が決壊したため、北岳の登山を中止し鳳凰に回った人が多いようで、『今日は混みます』との話だ。こんな天気が続くから静かな山旅になるかなと期待していただけにちょっとばかり残念だ。寝場所を確認した後、小屋に荷物を置いてふたたび峠で遊ぶ。

峠から西へ10分下ったところ水場があるとのことだが、宿泊者には小屋が水を提供してくれる。明日のため水筒を満たしておく。夕食は、小屋の前の平坦地でフリーズド・ドライのすき焼きとレトルトの御飯だ。思いもかけず、俊介が罐ビールを担ぎ上げてくれた。ガスが少し晴れて、雲間に農鳥岳の大唐松尾根が見える。台風7号の直接的な影響はまだ現れず、風はない。小屋の奥さんが親切にコース全般のアドバイスをしてくれる。このまま、雨が続けば、白鳳峠からの下りがスリップしやすいとのことだ。ご主人は買出し中、子供が下にいるのでと、ご本人もアルバイトのおにいさんを残して夕刻降りていった。ほぼ満員の小屋は毛布にかけ布団もあり、湿気た暖かさのなかで入山第一夜を迎えた。

●8月10日(火)

5時過ぎに起きる。外は予想通りの小雨が降っている。。パンとスープの朝食を済ませ、沖縄付近を北上中の台風7号の接近を少し気にしながらほとんど最後で出発する。雨でぬかるんだクマザサとカラマツ林の尾根道を急登する。やがて霧に包まれた南アルプスのうっそうとした樹林の緩くいつまでも続く登山道に変わり、今朝もいつものようにゆっくり、ゆっくりと登る。大きな幅広い尾根で森林限界の高いこの山域は、深い樹林帯が実に幻想的な雰囲気を持っている。南アルプスのとりこになる人は、こんなところにも関心を持つのだろう。

少しずつ高度を上げていくと、やはり風の気配を感じはじめる。霧が回りの木々に付いて水滴となって落ちてくる。カサをさす。ようやく樹林の中の杖立峠に着き休憩していると結構肌寒い。雨の中で雨具をつけるのはやっかいかなと、ここでとりだす。黄色、みどり、青、紺色の雨具に、黄色、赤、みどり、薄茶のぼうし。下界では派手だなと思ったが、この深山の薄暗い中では、なかなかかないいものだと思う。

杖立峠から少し下って登り返すと、やがて山火事跡の開けた場所にでる。見事なお花畑だ。紫のトリカブトや、濃紺色のリンドウのつぼみ。オレンジ色のクルマユリ。細かな水滴が映える黄色のシナノオトギリ。褐紫色のユリ。後でこれがクロユリと知る。風はつよくなってきたが、色とりどりの高山植物に心を奪われる。さらに登った山火事跡で休憩をとる。一瞬の間、強い風がガスを吹き飛ばして、山頂を隠したままの白根三山を見せてくれる。晴れた日にはきっとすばらしい展望に違いない。

雨でしっとりと濡れたスギゴケを敷き詰めた原生林帯を登り、やがて樹林のなかの苺平を通過する。ここから『せっかくの高度がもったいない、もったいない』といいながらしばらく樹林帯を下り、うっそうとした山の中にポッカリと開けた明るい空間にいたる。ここに南御室小屋がある。

掲示に従って小屋の管理人さんに薬師岳小屋の予約をお願いする。両方の小屋とも山梨県営でうまく宿泊を分散させているようだ。手を切るように冷たい湧水で昼食を準備する。フリーズド・ドライのほうれんそう、ネギ、肉のはいったラーメンだ。塩の入った麺をゆでた水をそのまま使ったので塩辛いが、空腹にはごちそうだ。

料理中に到着した高校生のパーティが管理人さんから怒られキャンプを断られている。聞くとはなしに聞けば5年前、その高校のパーティがキャンプの後、大穴を掘ってゴミを埋めて帰ったそうだ。そんなことをすれば、土に還えることができないゴミによって自然が壊されてしまう。再度自然を取り戻すことは不可能に近い。管理人さんは毅然とした態度で『二度とお前たちはここでキャンプさせない、帰ってくれ』といきまいていた。引率の教師も無言のまま怒られている。結局キャンプ・サイト全体を清掃することで話はおちついたようだ。われわれも自炊などで出すゴミを、どんな量になろうとも持ち帰らなければならない。薬師の小屋は、雨水にたよっているとのことで、自炊のわれわれは水筒、ポリタンクを約8リッターの清水で満タンにして出発する。

南御室小屋裏の登りは結構急だが、やがてシラビソの樹林帯の中の緩い傾斜にかわる。ここでも敷き詰められたコケのじゅうたんが、この山やまの雨の多さを物語っている。稜線上では樹林の中といえど、風雨とも強い。だが、風下側の尾根から少し下がった所ではほとんど風はなく、草木も濡れていない。登り続けるうちにだんだんと花こう岩が目についてくる。森林限界をぬけ、風雨のなか花こう岩の堆積した視界のない砂払岳を乗越して、砂払岳と薬師岳のコルのダケカンバに囲まれた薬師岳小屋に到着した。

どのルートからも丸一日以上をかけて到着するこの小屋は質素なたたずまいだ。平屋建てで入って直ぐが20人やっとの食堂で、その奥が寝室になっている。最近話に聞く個室やレストランが付いた数百人宿泊可能な北アルプスの山小屋にくらべ、いかにも山小屋らしさを感じる。小屋の軒下で、雨の中レトルト・カレーをつくる。今回は少々重たいがレトルト御飯が中心の自炊だ。約15分煮れば出来上がりでなかなかうまい。欠点は量が少ないことだ。

午後4時のラジオ気象通報によれば、やはり長崎の西を台風が通過中だ。今夜半あるいは明日の午前中、日本海を北上し、南アルプスに最接近するらしい。外の風は強く、明日はどうなるかと思案するが、まあなるようにしかならない。そんなあきらめにも似た気持も大切だと思う。真夏とはいえ、2700mを越えるこの小屋は寒い。小屋の寝具はマットの上に毛布を1枚敷いて、かけフトンは毛布2枚のみだ。オーロンのTシャツならびに長袖下着上下を、そしてその上に登山用のパンツ、シャツを着込んでもこれでも寒い。親子4人ぴったりと体をよせあって眠りにつく。

●8月11日(水)

午前5時過ぎにまわりの物音にめざめる。外の天気は相変わらず風が強く、小雨が降ったりやんだりしている。台風7号は日本海の真ん中を北西に移動中とのラジオ天気予報に聞き入る。小屋の宿泊客は皆様子を見ながら雨具をつけ出発していく。歩けない天候ではない。しかしながら、鳳凰三山からの展望を明日に期待して本日は小屋周辺で遊ぶことにする。食料もなくなったので今日の夕食から小屋の食事をお願いする。朝食は持参のバナナとチーズとココアで物足りない。

薬師岳(2780m)は、小屋の北側で歩いて10分の距離にある。薬師岳の山頂から初めて携帯電話が通じる。横浜のおじいさんに現況を報告する。風に何度もぼうしを飛ばされながら花こう岩と白砂と青いハイマツの日本庭園を周遊する。花こう岩の岩屋に地蔵様がまつってある。岩の間に咲くピンクのタカネビランジの美しさに驚く。シャクナゲも8月というのに花をつけている。小一時間自然が造った白砂の庭園に遊ぶが、やがて霧雨が本格的な雨に変わってきたので小屋にかけこむ。

おなかを減らした昼食は、これが最後の自炊ラーメンだ。自炊者用の水も用意してあったので、昨日の経験から塩入り麺のゆで汁を使わずに作ったラーメンは、たくさんの肉、ネギ、ホウレンソウも入ってなかなかの味であった。今回7食自炊にしたので、思いの外の節約となる。これからの山旅でも可能な限りは自炊にしたい。コールマンのGIガソリン・ストーブは、購入してもう15年になるのにしっかり燃焼して心強いかぎりだ。夜叉神峠で一度ポンピングがスカスカになって圧力をかけられなかった。どうもこれは今回初めてパッキンにレプリカント・オイルを塗ったためらしい。後の使用では問題はなかった。

午後、時おり日ざしも出てきた。7月末の蒸し暑い丹沢大倉尾根の一日以来、久々の太陽は暖かい。さっそく濡れて湿った雨具やボウシを干す。ちぎれちぎれになった雲が速いスピードで頭上を通り過ぎていく。ふたたび太陽が雲間に隠れると肌寒い。北岳や間の岳の頂上付近にはまだ雲がまつわりついている。4時の気象通報では、台風は日本海をさらに北上し、どうやら明日以降天気の回復が望めそうだ。夕食は初めて山小屋の食事だ。つくだ煮主体のおかずで、みそ汁と御飯がおいしい。どんぶりに山盛り二盃、腹いっぱい食べる。

食後、風はまだ強いが小屋の周辺を散策する。見える。富士山が思いのほか大きな姿だ。富士は通俗的だという人も多いが、鳳凰三山から眺める富士は、左右均整の取れた裾野が長くのびきっている赤茶けた夏の砂山だ。やがてガスのなかに北岳の頂上付近も見えてくる。ここは晴れてくればさすがに第一級の展望台だ。明日に期待しながら小屋に帰る。今夜は更にオーロンのTシャツを着込んで寝るが、寒くて何度も目が覚める。

●8月12日(木)

午前4時に床をでる。結局殆ど寝ていない気分だが、眠気はしない。小屋の外に出ると、満天の星空だ。昨夜とはうってかわって風はない。何故か新田次郎の風が死んだ山を思い出す。暗やみの中で、息を凝らしながら体操をする。俊介も外にでてくる。気づくと東の空が薄いオレンジ色に染まりはじめた。親子4人そろって砂払岳に登る。

奥多摩、奥秩父の山なみの向こうからだんだんと朝が訪れてくる。全天雲ひとつない。影絵の富士の中腹に青い光りが見える。甲府の街なみの灯が盆地の底にゆらめいている。西の方角に振り向くと薄明のなかに北岳、間の岳、農鳥岳の白根三山が姿を表している。そればかりか、早川尾根のアサヨ峰、甲斐駒ヶ岳の頭、仙丈岳や重畳たる南アルプス南部の山やまがその姿を見せはじめている。仙丈岳と北岳の間に中央アルプスの峰みねも顔をのぞかせている。

台風一過、ひと夏に一度あるかないかの快晴だろう。やがて奥多摩の向こうに一点の放光が輝き、ダイヤモンドの日の出を迎える。北岳の頂きもオレンジ色に輝きはじめる。我を忘れて見つめる厚子、俊介、実香の顔も生まれたばかりの朝の光りに輝いている。瞬く間に持参のフィルムを使いきる。

薬師岳小屋で御飯とみそ汁の朝食を済ませる。俊介と実香には、小屋のおじさんがフリカケをくれる。小屋で朝食を取らずに出かける人も多い。昨日の夕食の半分の人と朝食をともにした。フィルムを買い、弁当を受取り、用をたしたりして出発は今日も最後だ。

薬師岳の広々とした頂きから眺める景観も息をのむほどにすばらしい。目の前の北岳をバックにまた記念写真を撮る。ここから観音岳を経てアカヌケ沢の頭へと白砂と青松の庭園が稜線通しで続く。北に向かって左手に白鳳渓谷越えに白根三山、右手前方に八ヶ岳連峰を見ながらの稜線漫歩だ。八ヶ岳連峰の奥に浅間山が遠望できる。西側の斜面は風化した花こう岩と白砂、東側の斜面はハイマツ、ダケカンバを中心とした背の低い樹林で山稜を構成している。4人連なってゆっくりと景観の美しさを満喫しながら歩くと、ほどなく鳳凰三山の最高点観音岳(2840m)に到達する。

巨岩の折り重なった観音岳の頂上からは、南側に薬師岳を前面に配した富士山が、北側に頂上を白い花こう岩におおわれたタイナミックな甲斐駒ヶ岳と、地蔵岳の天空にそびえ立つオベリスク(岩塔)とが目に飛び込んでくる。西側には少し角度が変化してきた白峰三山の3000m級のスカイラインが悠々と連なっている。

観音岳から下ってアカヌケ沢の頭へと登り返すアップダウンの多い稜線は、所々で西側の斜面がスパッと切れ落ちている。実香はおっかなびっくりながら、しっかりと歩いている。元気が余ったのか、最低鞍部で鼻血がでて小休止する。暑くなってきたので4人とも、長袖のシャツをぬいでTシャツ姿となる。

二昔前の山岳部時代と変わって最近の山用衣類はすばらしい素材を使っている。このTシャツはアクリルをもとにしたオーロンでてきている。寒い夜は暖かいし、暑い日中は汗をどんどん発散させべたつかないし、小休止の間もコットン地のシャツと違って、汗の冷たさを感じさせない。靴下もオーロン地で、歩きやすい軽登山靴とともに汗で湿っても乾燥しやすくマメができにくい。ザックも大きく進化し、昔の横長キスリングに比べて格段に背負いやすい。ザック・カバーも雨の多い日本ならではのアイデアだ。雨具も内部からの浸透性のあるゴアテックスの素材に変わって、本格的な雨のなかでもムレにくく、雨天での行動範囲が大きく広がった。4人の装備を新調するのにかなりの投資を必要としたが、これで今後は進んで家族そろった山旅が愉しみたい。

アカヌケ沢の頭からは、地蔵岳のオベリスクが眼前に望める。1904年の夏、ウォルター・ウェストンが二つの巨岩の接合部のチムニーからその最高点に苦労して攀ったというが、遠目にもなかなか困難そうな印象をうける。このオベリスクは麓からも識別できるという。鳳凰三山のシンボル的存在となっている。眼下には賽の河原の子宝地蔵も見える。ここから見る北岳は、大樺沢の雪渓がみごとだ。冷夏だったせいか、かなり上部から二俣あたりまで幅広く雪渓がのこっている。どうやら夏道は雪渓上のようだ。目を北に転じると、北アルプスの山々が甲斐駒ヶ岳の右手に遠望できる。なかでも槍のピークが目に飛び込んでくる。左手には大キレット、北穂、奥穂の穂高連峰。槍のはるか右手には立山と懐かしの剣岳。その右手には後立山連峰が続く。さらに右手に転じると妙高を中心とした上信越の山やまがくっきりと見える。今日は本州中央高地の全ての山やまが見渡せるのではなかろうか。

鳳凰小屋方面へ下る道と別れて早川尾根にはいり、稜線伝いに痩せ尾根を西に進む。稜線上でだいだい色のユニフォームを着た高知大学のパーティにであう。たくましく日焼けして走るかのごとく過ぎ去っていく。白砂のコルからハイマツ帯の岩稜をこえて高嶺(2779m)に登り着く。緑のハイマツ岩稜帯を進む実香、厚子、俊介の3人は、青空とはるかかなたの山やまをバックにまさに夏山の山稜歩きを満喫している。大きなクロアゲハや黄色の蝶が舞っている。今日最後の頂きで靴と靴下を脱いで小休止。俊介が足の小指の痛みでバンド・エイドを貼る。黒戸尾根から立ち上がる甲斐駒ヶ岳は、山麓からの圧倒的な高度差を誇り、一度は登る気にさせる。角度を更に変えた北岳は均整の取れた形をみせている。

高嶺からの下りは、『こんなとこ降りるの』という声が思わずでてくる急な岩場から始まる。ここから白鳳峠(2450m)を経て広河原(1529m)まで水平距離4kmの間に一挙に高度差1250mの下りがつづく。慎重に実香に足の置場を示しながら岩場を下る。俊介はバック・パックのフレームが岩に当たって降りにくそうだ。ハイマツ帯に入って振り返りながら見上げた岩場の急なこと。つづく岩塊の堆積したゴーロで全員の縦走スピードが落ちはじめる。岩場での気疲れと足の痛みと暑さのせいだ。厚子が頭痛を訴える。やっとのおもいで樹林に囲まれた白鳳峠に着く。

白鳳峠は展望こそ無いが、今日の暑さには樹林の木陰とコルを越える風が涼しい。ここで薬師岳小屋で作ってもらった弁当にする。GIストーブでお湯を沸かし、暖かいみそ汁とココアとコヒーを作る。暑い縦走でも暖かい飲み物は乾いた喉をうるおす。厚子も足の小指に痛みがあり、バンド・エイドをはり、テーピングをする。頭痛にかぜ薬を服用する。

気を取り直して白鳳峠から下りはじめると直ぐに、また変成岩の堆積したゴーロの長い斜面となる。ともかく暑い。昨日は雨の中で寒いからと日の光りを待ちわびたが、快晴の今日は岩塊のなかで暑さにまいってしまう。人間ていい気なものなんだと考える。峠からゆっくり下りはじめて約半時間で、やっと南アルプスのうっそうとした原生林帯にはいる。シラビソやツガが多い。ここらにもスギゴケのじゅうたんがひろがる。

やがて緊張する岩場の下りに数回でくわす。下りは特に傾斜が急に感じる。慎重に休み休み下っていく。夜叉神峠小屋の奥さんがアドバイスしてくれたように、雨でスリップすれば危険な所だ。厚子は少し頭痛がおさまったのか、実香や俊介と歌いはじめる。水筒の最後の水を飲み、飴や氷砂糖をなめながら急な斜面をジクザクに急降下していく。時々樹林から垣間見られる北岳の頂きがどんどん高くなっていく。やがて野呂川の流れも見えていつの間にか南アルプス林道にでた。南アルプスのスケールの大きさの一端を感じる下りであった。

林道を10分程歩いて広河原山荘への野呂川をわたる吊橋にでた。厚子が今夜の宿泊を手配し、私がバスで車をとりに夜叉神峠登山口へ向かう。狭い林道をなんとかドライブして再び広河原に到着。厚子と俊介が登山客で満杯の駐車場にスペースを確保してくれていた。今日の暑さで私も頭がズキンズキンしていたし、実香の足のウオノメがウミを出しているとのことで、今回の山旅を前半の鳳凰三山縦走で終わりとすることに決めた。全員前半だけで残念に思ったが、北岳は次の機会に譲ることに賛成した。

山旅最後の山小屋である広河原山荘は文化的な香りのする、むしろモダンな山旅館と行った趣がある。稜線の小屋では考えられない食事や寝具が提供されている。天候の回復を待って訪れた登山客で満員だった。食事の後、広河原を散策した。暮れゆく光りに高嶺の頂きが輝く姿を見つけた時、4人とも鳳凰三山の山旅に深い充足感を覚えていた。(1993年8月15日記)

  <山行記録>

 8月 9日(月)曇り
  05:00  起床
  06:22  横浜自宅車にて出発 横浜・上麻生線、上麻生・連光寺線、鎌倉街道を経て国立府中ICへ
         途中多摩市桜が丘付近渋滞 多摩川土手より国立府中ICへ近道
         中央自動車道にて甲府昭和ICへ 途中相模湖・大月間渋滞
         国道20号線、県道20号線を経て夜叉神峠登山口へ
  10:30  夜叉神峠登山口 着    自炊の昼食
  12:57  夜叉神峠登山口 発
  14:24  夜叉神峠 着
  14:30  夜叉神峠 発
  14:40  夜叉神峠小屋 着
         夜叉神峠にて遊ぶ 

 8月10日(火)曇り時々雨
  05:15  起床
  06:45  夜叉神峠小屋 発
  08:23  杖立峠 着     雨具着用
  08:45  杖立峠 発
  09:50  上の山火事跡 着  瞬間ガスのあいまに白根三山見える
  10:10  上の山火事跡 発
  11:30  南御室小屋 着   昼食
  12:35  南御室小屋 発
  14:00  薬師岳小屋 着

 8月11日(水)午前霧雨のち雨、午後曇りときどき晴れ間、終日風強し 
  05:00  起床        停滞
  AM     薬師岳山頂付近散策、小屋で読書、記録など
  PM     時折日ざしがでてくる。夕刻砂払岳、薬師岳周辺散策

 8月12日(木)快晴
  04:00  起床
  05:00  砂払岳にてご来迎
  06:00  薬師岳小屋 発
  07:15  観音岳 着
  07:35  観音岳 発
  08:50  アカヌケ沢の頭 着
  09:10  アカヌケ沢の頭 発
  10:00  高嶺 着
  10:25  高嶺 発
  11:28  白鳳峠 着     昼食
  12:20  白鳳峠 発
  15:10  南アルプス林道 着
  15:20  広河原山荘 着
  15:40  広河原ロッジ 発
         耕一バスにて夜叉神峠登山口へ帰り車を広河原へ輸送
  17:20  広河原 着
         夕食後広河原散策
 
 8月13日(金)晴れ
  05:00  起床
  07:30  広河原 発
         南アルプス林道を経て芦安・白峰会館にて温泉入浴
         県道20号線、県道12号線、国道52号線、県道9号線、国道300号線、
         国道139号線、国道138号線を経て富士山泉水へ 泉水にて昼食
         国道138号線を経て富士霊園へ 国道246号線をへて横浜市緑区へ 青葉台にて夕食
  20:00  横浜自宅 着
                                       以上



Last modified 06/25/98

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